令和4年度第1回いわて復興応援隊研修会 参加レポート★田野畑村、普代村

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こんにちは、イーティです。

先日9月初旬に、本年度の第1回いわて復興応援隊研修会を田野畑村・普代村で開催しました。

久しぶりの沿岸開催&宿泊 ということで、現地のいまを知る視察メニューも組み込まれ、今の三陸を五感で感じる、充実感あふれる研修となりました。

おもな内容をレポートします。

 

〇今回の研修実施目的
「いわて復興応援隊創設から10年の節目に、復興支援員として、あらためて防災のまちづくりについて学び、今後の活動につなげるための知見を広げるため」
〇おもな内容(イーティ的ざっくりご紹介)

①野外研修 田野畑村
NPO法人体験村・たのはたネットワーク 赤坂 広太氏

・田野畑駅から、赤坂さんにご案内いただきます!赤坂さんが持つ写真は、震災当時の田野畑駅周辺の様子です。何もかも流失してしまったのがわかります・・。せつない感じもありますが、今はきれいに整備され花壇もできていて、少し華やかな雰囲気になっています。ただ、この場所は津波被害が今後も想定される場所になっていることから、住宅は建てられないようです。

◎平井賀漁港

・昔はこちらの漁港から小さい船で、宮古市まで丸太を運んだりしていたそう。色々な種類の化石を含む重量感を感じる地層が、ダイナミックに傾いています。

・ここは前期白亜紀(約1億1千万年前)にできた地層で、この場所と羅賀層、明戸層、田野畑層と点在している地層群をまとめて、宮古層群といわれています。震災時は、津波が防潮堤を超えてガイドの身長の高さ近くまで、波が押し寄せたそうです。

◎明戸海岸防潮堤

・東日本大震災津波で、こちらの防潮堤が決壊しました。当時のまま、一部が保存されています。水面下に設置された人工リーフの一部が、津波によって陸のほうまで運ばれてきたとのこと。むきだしの岩の、迫力を感じます。。。

◎机浜番屋群

・地元漁師さんの漁具置き場として活用されていた机浜番屋群も、震災ですべて流されてしまいましたが2015年に再建し、現在は漁業と観光の発信拠点として活用されています。体験村・たのはたネットワークでは、いま震災&ジオパークガイド、塩作り体験、サッパ船乗船体験、などを展開中ですが、新たに電動アシスト自転車を貸し出すサービスも準備中とのことです。

今後の展開が、楽しみです!

赤坂さん、ありがとうございました!

②野外研修 普代村
北三陸認定ジオガイドクラブ 長坂 孝志 氏

◎普代水門

・普代村のメニューは、長い間教員を務めていらっしゃった長坂さんにバトンタッチです。さて、普代村の震災遺構は、なんといっても「普代水門」が知られています。水門を作った時期は昭和40~50年代であり、その当時の村長は和村幸徳(わむらこうとく)氏。当時の防潮堤の高さは、10Mくらいが普通でした。

・しかしその高さでは過去の津波は防げなかった事実から、「二度あったことは、三度あってはならない」と和村村長は言い切り、多くの人から反対されつつも多額の財源等を工面し、15.5Mの高さの防潮堤を作られました。そのお陰で2011年の東日本大震災津波では死者を1名も出さなかった、という伝説を作りました。

・個人的につくづく思うんですが、、政治の判断とは、正しいか正しくなかったかなんてその当時はわからなくて、後世の人々が評価する、というのは、普遍的な真実なんですね・・。和村村長は、当時だと、強引な手法で進めちゃう人とか、人の意見聞かない人、とかさんざん言われてたんだろうなあ・・。でも当時、強引に進めたからこそ、人命が守られたという事実は今を生きる自分たちに、本当に大事なものは何かをひしひしと教えてくれます。

◎普代村緊急避難路

・普代中学校の脇から、普代バイパスへ続く階段が設置されています。ここは通常、学校で津波避難訓練を行っている場所なそうです。今回、特別に三陸国道事務所様に鍵をお借りし、階段への扉を開けていただきました。

三陸道に避難って危なくない?ってちょっと思ったんですけど、人がゆうゆう集まれるスペースがあり、車道へは出れないようにフェンスに鍵がかかっていたので、その心配は無用でした・・!

もともとこの場所は、三陸道建設時の資材置き場だったらしいです。避難道としての新たな利活用場所になるとは、良い取り組みだと思います。

※vol.2 へつづく

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