令和3年度盛岡第三高等学校第一学年 総合探究授業同行レポート★宮古市コース

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  • 歴史文化

<プログラム提供者>

宮古市教育委員会事務局文化課 宮古市史編さん室 室長  假屋(かりや) 雄一郎氏

(一社)宮古観光文化交流協会 学ぶ防災語り部ガイド 元田 久美子氏

グリーンピア三陸みやこ 総支配人   船越 博之氏

 

<実施内容>

  • 国登録有形文化財 盛合家住宅の視察及び環境整備(庭整備)
  • 学ぶ防災と三陸ジオパークガイド
  • 田老漁協 真崎ワカメの成長過程DVD学習とワカメの芯抜き体験

  

<学習の概要>

■国登録有形文化財 盛合家住宅視察、環境整備(庭整備)

午前10時、東日本交通のバスで生徒40名、引率教諭2名、計42名到着。盛合家前の広場に集合し、盛合家見学のスケジュール説明と盛合家のガイド假屋さんを生徒たちに紹介しました。

盛合家住宅の一度に40名の見学は密の状態になるため、2班編成20名に分かれての見学と、盛合家住宅からすぐ近くに立地している津軽石川水門と防潮堤、津軽石川の案内をスケジュールに追加することにしました。

 

(盛合家住宅視察)

盛合家住宅の特徴は商家造りと武家屋敷の2棟によって構成され、玄関も武家の通用口と一般庶民の通用口に分かれています。生徒たちは商家造りの玄関から入場し、假屋さんから盛合家の歴史について説明を聞きました。

盛合家(屋号:若狭屋)は江戸時代の中頃、盛岡藩に税を納めて鮭漁の漁業権を持つ地域を代表する瀬主となり、鮭漁のほか、宮古湾の漁業を生業として江戸との交易を行う廻船業、さらに酒屋・質屋(金融業)も営み、地域や藩に対する貢献度も高かったことから武士の身分を与えられ、三陸を代表する名家・豪商となりました。

盛合家の正門に向かって連なる白壁には東日本大震災津波の痕跡が残り、主屋全面床上50㎝の浸水被害にみまわれました。(酒蔵・質蔵などは破損し解体されました) 

商家造りの部屋は、栗材で太く重厚に造られ、仏間・神棚などいかにも商家らしい雰囲気が感じられました。武家屋敷に移動すると、部屋は桧で造られ3部屋全て畳敷、殿様専用のトイレ・風呂場も備え、武家屋敷から庭園の眺めもすばらしく商家造りの部屋とは対照的で大変興味深く感じました。この武家書院造の部屋は、盛岡藩の藩主が領内巡視の際、宿泊所として使用されたことを契機に武家屋敷と庭園を改修、整備されて現在に至っています。

 

この他にも歴史的著名人との交流も数多く、伊能忠敬や前島密らが宿泊、文人墨客も訪れ、その書画が武家座敷の屏風などに残されているんですよ。

見学が終わり假屋さんの説明を通して、宮古にこのような歴史建造物が残り、盛岡藩との関わり合いや江戸との交流があった史実を確認できたことは、生徒たちにとって貴重な体験になったことと思います。

 

 

(津軽石川水門、防潮堤、津軽石川の見学)

津軽石川の水門は明治29年の「明治三陸地震津波」の被災検証に基づき、その対策として平成元年から17年かけて8.5mの防潮堤に建設された全長189mの水門でした。

しかし東日本大震災の時は津波がこの水門を超え、津軽石地区も多大の損害を被りました。現在は東日本大震災津波を教訓に10.4mの防潮堤に嵩上げされています。水門の下を流れ宮古湾口に注ぐ津軽石川は、鮭が遡上する川として全国でも有名になり、昭和56年には本州で第1位の漁獲量を誇り、今日に至るまでサーモンランド宮古として君臨してきましたが、昨今鮭の不漁に伴い、トラウトサーモンの養殖が主力となっていることに少し寂しい思いがします。

今回は歴史を振り返り、江戸時代に盛合家隆盛の礎となった津軽石川鮭漁との因果関係を生徒に伝えたいとの思いから、急遽行スケジュールに加えました。

  

(盛合家庭園整備・清掃)

盛合家の見学と津軽石川の水門、防潮堤、津軽石川の見学後、全員で盛合家庭園の整備・清掃を行いました。

盛合家庭園は国登録記念物として指定されていることから、その保存活用について管理が必要とされています。時々ボランティア活動による清掃は実施しているようですが、それでも管理は大変で今回は生徒たちに庭園の清掃をお願いしました。

各グループで落ち葉の回収、池のゴミ拾い、紫陽花の枯木の撤去など、中には屋敷の殿様専用のトイレ掃除をする人も!約30分位皆でワイワイ楽しく作業をしていたようでした。

清掃後は盛合家で持ち弁当のランチタイムです。

 

天気も回復し武家屋敷の縁側や庭園、屋敷内で皆それぞれのんびりとランチタイムをとりました。12時30分に盛合家の家主さんと生徒たちがお互いに感謝の挨拶を交わし盛合家を後にしました。

 

 

■学ぶ防災と三陸ジオパーク

午後1時、道の駅たろう潮里ステーション到着。学ぶ防災語り部ガイドの元田さんがバスに乗車し、田老を代表する景勝地三王園地へ直行しました。三王園地から眼下に高さ50mの男岩とその横に女岩、太鼓岩の3つの岩から成る三王岩の景観と、遠くに重茂半島が眺望できる絶景の場所でジオパークの説明を聞きました。

三王岩(男岩)は高さが50m、新幹線2両分の長さに匹敵するそうです。その断層は白亜紀約1億年前に海底に堆積した礫岩・砂岩の宮古層群で形成されており、三王岩の断層にはっきりと確認できました。また三王岩(男岩)のてっぺんに残る松林の中にはお堂があり、田老の漁師さんが漁に出る時は必ず安全祈願をすると言われています。三王岩も見る角度によって景観が変わり、みちのく潮風トレイルのルートに沿って遊歩道を降りて三王岩を正面に見ると、その壮観な姿に圧倒されます。

遊歩道の横には東日本大震災津波によって海から30m移動した巨大な津波石があり、当時の津波のすさまじさを物語っています。さらに遊歩道を進んで行くと田老漁港に到着しました。漁港の背後の岩壁に過去の津波の高さを表示した津波到達点プレートがあります。昭和8年の10m、明治29年の15m、そして東日本大震災津波の17.3mが表示され、生徒たちは岩壁を見上げながら改めて津波の脅威を思い知らされた瞬間でもありました。

最後に津波遺構たろう観光ホテルに隣接している避難道で、当時の様子と防災について聞きました。田老は過去の津波体験から津波防災のまちづくりを行い、防潮堤を始め避難道も40数ヶ所備え、いつでも避難できるハード面が整備されているのにもかかわらず、防潮堤があることに安心して避難しなかった人や、避難をしても家に戻った人が多数犠牲になったとのことでした。

人口4,400人の町で181名の尊い命が失われました。

「命てんでんこ!津波てんでんこ!自分の命は自分で守る!防潮堤は津波襲来の時間稼ぎに過ぎず、常に高台に避難することが防災の基本!ある消防団の人の曰く、15分救助にあたっても残り5分は自分の命を守るために逃げましょう!」

語り部ガイドのこの言葉が重く心に響きました。生徒たちはこの言葉をどのように受け止めたでしょうか?

約1時間の学ぶ防災と三陸ジオパークの研修を終え、午後2時道の駅たろうを後にしました。

 

 

■真崎ワカメの成長過程DVD学習とワカメの芯抜き体験

次の訪問先、グリーンピア三陸みやこに到着です。ワカメの芯抜き体験の前に、真崎ワカメの成長過程をDVDで約15分間学習しました。

養殖ワカメの管理は1年を1回としたサイクルで行われ、7月~8月頃の採苗から始まり翌年の3月~4月の収穫まで綿密な作業を積み重ね、最終的に「色よし」「味よし」「歯ごたえよし」田老のブランド加工品「真崎ワカメ」として流通販売されています。私たちが普段何気なく食べているワカメがこんなに長い期間、手数をかけ管理生産されている点だけは理解できたのではないでしょうか。

DVD学習後、ホテルと別棟のふれあい交流館に移動し、田老漁協スタッフの指導の下、ワカメの芯抜き体験を行いました。

テーブルの上にセットされたワカメの束から、一本のワカメを取り出し茎と葉に分ける作業です。慣れるまで少し時間がかかりますが、コツを覚えるとスムーズにできるようになりました。約30分間の作業を終え、残ったワカメはお土産に各自で袋詰めをして持ち帰りとなりました。家にお土産ができたことで皆喜んでいました。最後にふれあい交流館前で集合写真を撮り、午後3時35分グリーンピア三陸みやこを後にしました。

  

 

<最後に>

今回の探究授業は、生徒たちからの質問を受ける時間を設けることができず一方的な案内に終わった点が反省点でしたが、体調の悪い生徒もおらず、バス乗降の際の手指消毒の徹底や、各受入れ施設の消毒・検温など新型コロナウイルス対策も万全で、ほぼタイムスケジュール通りの行程実施となり、事故もなく終了したのが何よりほっといたしました。

私からは、これからの盛合家の利活用について体験企画を皆で是非提案して欲しい旨、お願いいたしました。

生徒たちから新鮮なアイデアをいただいて、盛合家がさらに素敵な観光施設になっていくことを願っております。

  

【レポート:宮古地域振興センター  観光コーディネーター 向井義勝】

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